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  • 2020/11/25

食卓が明るくなる野菜を育てます

今や、様々なメディアに取り上げられ、大阪の食通にも一流ホテルのシェフにも絶賛される「射手矢農園の泉州たまねぎ」。
江戸時代から代々続く『長左エ門』家の10代目 射手矢康之さんに、お話を伺いました。

インタビュー先

ポジティブな友人との出会いが全てを変えた

泉州の地で27ヘクタールもの広大な農地で、泉州たまねぎ、きゃべつ、お米を育てる射手矢農園は、たまねぎの旬を迎えると全国のファンから注文が殺到するほどの泉佐野、いや大阪を代表する農園です。

しかし、ここまでの道のりには、2つの大きな転機と人との出会いがあったといいます。
射手矢さんが農業の道に足を踏み入れた20代の頃、後継ぎとして始めた農業はまさにネガティブ思考だったそうです。そんな時、東京は代々木で開催された全国の若手農家が集まる会合に参加した射手矢さんの隣の席にたまたま座ったのが、奈良でイチゴなどをつくる農園の寺田さんという運命の人でした。その時、射手矢さんの眼に映った寺田さんは“好きだから百姓をやっている!”と自信がみなぎる眩しいでした。寺田さんの他にも、自分の作る作物に自身を持ち、農業の仕事に対する誇りを微塵の偽りもなく表に出していました。射手矢さん曰く“農家の集まりなのに、ジャニーズのようにキラキラと輝いていて皆んなカッコよかった”。

この時の出会いが、射手矢さんの大きな変革の第一歩となりました。
ちなみに、奥様もこの寺田さんのご紹介がきっかけとのことです。そして、後にこの奥様が第2の変革の後押しもしてくれたのです。

経営難・赤字、、、、危機から上昇へ

30歳の時に経営を委譲されたものの、赤字が続きました。
このまま泉州たまねぎを作り続けていてよいのか?人気のある水ナスに変えたほうが良いのでは? 様々な迷いを持ちながら過ごす日々だったそうです。

そんな時、射手矢さんは全国の友人に泉州たまねぎを送り付けてみました。すると、友人たちから“美味しい”と絶賛の声が続々と返ってきたのです。中には、お金を添えて送ってくる友人までいました。それまで、射手矢さん自身が自分が作ったたまねぎをそこまで美味しいとは思っていませんでしたが、友人たちの声に自信を深めた射手矢さんは、もっと多くの人に知らしめたいと心に誓いました。

農協ではなく、食べていただくお客様を向いて

これまでは、射手矢さんにとってのお客様は農協でした。しかし、そこでは味よりも納期通りに決められた量を収めることが優先されることも。。。それに対して不満を募らせていた射手矢さんは、もうこれからは食べる人だけが自分の本当の“お客様”だと決めました。
この考えに共感したのが、そう奥様でした。その考えをちゃんと言葉にしようよ!という奥様のIdeaで、「食卓を明るくする野菜を育てます」という経営理念が決まったのです。

この言葉が射手矢農園を第2の変革へと導きました。一般企業でもVisionが全社員に浸透していて、一人一人の行動に表れている企業は強いです。射手矢さんは、この理念のもとに、食卓が明るくなる本当に美味しい野菜つくりに励みました。農地面積も徐々に増え、それに伴い共に働く仲間も増え、お客様の評判も上がる、そんな好循環になっていったのです。

ポジティブはポジティブを呼び、ネガティブさえもポジティブに変えてくれる

大阪は西成に一軒のお好み焼き屋「でん」というお店があります。
https://c319402.gorp.jp/
このお店のお好み焼きには、射手矢農園の松波キャベツが使われています。
射手矢さんの大切な友人の一人が、そうこのお店を経営する“でんちゃん”です。射手矢さん曰く、でんちゃんは“もっている人”。そう何事にもポジティブで、運を呼び寄せる力が宿っている凄い人なんです。でんちゃんとの出会いで、射手矢農園を応援してくれる沢山の人々との新しい出会いが拡がりました。コロナ禍でこの夏収穫した泉州たまねぎの在庫が増えて困った際も、多くの人が救いの手を差し伸べてくれて乗り切れたとか。

泉佐野市のふるさと納税の返礼品にも出している泉州たまねぎドレッシングは、少しの酸味、醤油の風味と刻んだ泉州たまねぎの甘みでオールラウンダーなドレッシングで、オイルにはお米を精米するときに出る米ぬかから抽出したこめ油を使っています。いままで野菜を食べてもらうのに苦労していたお子様が、射手矢農園の野菜に泉州たまねぎドレッシングをかけて美味しいと言って食べてくれる、まさに食卓が明るくなる嬉しい瞬間です。

泉佐野市のふるさと納税に対しても特別な思いがあると言います。
泉佐野市がふるさと納税を開始した当初、返礼品はほんの数点しか集まっていませんでいた。射手矢さんの後輩でもある今の泉佐野市長、そして熱心に通う市の担当者と話す中で、当時財政が非常に厳しい泉佐野市をふるさと納税で立て直したいという思いに射手矢さんは応えました。しばらくはふるさと納税に返礼品に出しても赤字でしたが、それでも地元の為に赤字でも続けたといいます。

大切な友人が後押ししてくれて自分の心がポジティブに切り替わってから、新しいポジティブな出会いを次々に生んできました。これからも食卓が明るくなる野菜をつくり続けると自信をもって言い切る射手矢さんは、この広大な畑の先にどんな未来を描いているのでしょう。